小説・花暦

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■■〜あとがき〜〜■■

 全15話完了いたしました。
『私小説、花暦』ご購読いただきましてありがとうございました。
この作品はここ数年の間に何人かの友人を見送ったことが、心のしこりとなって残っていて
死因そのものが、更年期にかかった家庭の主婦の鬱的症状が家族の誰にも知られる事無く
自らの命を絶ってしまった。かかわってきたものとして、
誰もが『何故、あんな素晴らしい家庭の中にいたのに」
と、疑問におもったっときもあり、そういう中で、
不思議な事に私自身にもさまざまな事件が目の前に晒されました。
誰にも理解されない孤独。自分が作り上げてきた自分のイメージに押しつぶされた結果ではないか。
今でも心に残っているのは、友人のお悔やみに行った際、成人式を迎えたばかりのお嬢さんが
『お母さんは、一度も怒った事がなかったんです。いつも笑ってて、
いなくなる前の夜もお父さんのとなりに寝そべって一緒にテレビをみてたんです。
何でお母さんが死んでしまったのか誰にもわからないんです」

 その友人は、家を出て数ヶ月してから、ご主人といつも水を汲みに行ってた山林で見つかりました。
ちょうどその頃彼女は
「会いたいんだけど」
とわたしに電話をくれたのだけど、私自身が訳の分からない問題に悩まされてるときでもあって
「会いたいけどゴメンネ。今ちょっとなにやら忙しくてまたみんな出会う日を作るから」
と断ってしまったのです。彼女との対話はそれが最後でした。
数ヶ月して、他のメンバーとも連絡をとり、当然彼女にも連絡を入れたのですが、
そのときお嬢様の口から出てきたのは、
「母は亡くなりました。」
だったのです。

わたしの中でしこりとしてのこったのは、なぜひとこと
「わかった。あおう。」そういってあげられなかったんだろう
ということです。
彼女の気持ちを考えた時、今実際に自分に起きているさまざまな問題 悩みを
全て自分の胸の中に抱え込んだまま、いってしまったのではないか。
そういうことで
色々な同世代の女性たちの話を掻き集め、半分追悼の意味をこめて書き始めました。

 〜人逝きて 眼(まなこ)に残る微笑みは 揺れる心の糧となりぬる〜

 小さくてコロコロ笑う、可愛い女性でみんなのマスコット的な存在でした。
団体行動をしても後ろからチョコチョコ付いてきて、振り返ればいつも微笑んでいたその瞳に
、年上であるわたしが励まされたものです。

昨年の夏は不慮の事故で知り合いを見送りました。
時をまたずして生命を閉じなければならない事は、本人にとっても残された家族にとっても
無念であり残念な事だとおもいます。
だからこそ、今生きている自分たちは、何があっても自分自身を見失うことなく
前向きに油断することなく誠実に生きていかなければならないとおもいます。

お付き合いいただきましてありがとうございました。

                               平李 真理

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