愛の詩集

ライン

■■清香の追想(後編)■■

 愛の終わりは、清香に長い間 空虚な時の波間をさまよわせた。
山を隔てた県境を待ち合わせの場所と決め、2年もの間ひっそりと逢瀬を繰り返してきたのだ。
逢えないとなれば、逢わないと決めれば、お互いに無理をして時間を作ることもなくなる。
 その後彼からの連絡もなく、清香も受話器をとったことはあってもダイヤルを回すことはなかった。

「近くなら毎日でも会えるのに」とか
「どこかにアパート借りようかな?」など別れを惜しんだこともあったがこうなってみて初めて
 遠距離ゆえの諦めとわけのわからない感情に揺さぶられ、
行く場所のない車のハンドルを握りしめるせつなさや、
無性に逢いたいと思う未練な心に打ち勝つことができた。
 車を走らせていると視界のふちに彼の車と同じ色が走る去るのに驚き
家に一人でいるときなどふっと電話の音が鳴り出すような錯覚に陥ったりしたが、そのたびに
 「そんなはずはない。」と首を振り自分に言い聞かせた。
 時間は忙しいと早くて暇なときにとてつもなく遅く感じる。

 清香は休日にも用事をつくった。若い体は何かをすることでストレスを発散させることができる
でも同世代の友人たちと遊ぶにはまだ心に余裕が持てずいたので、
用事といえばもっぱら家の食事の買出しや墓参りの運転手を勤めることにしていた。

 その日も1番上の姉の買い物に付き合うことになっていたので電話の音がしたとき即座に
「ハイ、準備できた?迎えに行っていいの?」と元気のいい声を張り上げ一声を送った。
「相変わらず元気だねえ。近くまで来てるんだ。逢えない?」
一瞬、清香の呼吸が止まり血の気が引いていくのがわかった。
彼だった。すぐには言葉が出てこない心の奥で
「なぜ?なぜ?」こだまのように響いてくる。我に返り深呼吸を一つした。

「あら!こんにちはどうしたの?」
意外と冷静に話が出来ることを感じながら
「元気だよ。そっちも元気?・・・・アア赤ちゃんだけど」
「意地悪言うなよ。ボクも元気だし子供も元気だよ。」
彼は少し間をおき、くぐもった声で
「さや、もう一度逢いたい。気がついたらここまで来てたんだ」

清香の心に今すぐ飛んで行きたい衝動が走った。でも・・・・・
「ごめんね。私いけない。今から姉と約束があるの。そういつもの運転手。」
心とは裏腹のことを言っている自分に驚きながら
「それより赤ちゃん大きくなったでしょう?もう2ヶ月だもんね。
日にちってあっという間に過ぎちゃうんだもん。」

 清香の言葉に理性を取り戻したのだろうか。彼がぽつりと言った
「ごめん、僕がま違えてた。もう2ヶ月もあってなかったんだ。
僕の中には何時もさやがいたけどさやにはもうボクは存在してないね」
 「いや〜〜!聞きたくない」清香は耳をふさいで心で叫んだ。
「じゃきるよ。幸せになれよ」

カチャ・・・ツ〜ツ〜ツ〜・・・・
彼が置いた受話器の音が耳鳴りのように聞こえてくる
どのくらいたったのだろうしばらく受話器を置くのも忘れて傍線としていた

「さやちゃんあんた何してるのよ。さっきからずっと話し中じゃない」
待ちぼうけを食わされた姉が玄関を開けて入ってきた。
「アア、ねえちゃんごめんごめん。アレ子供たちは?」
あわてて受話器を置くと姉の方に顔を向けた。
「何、どうしたの?あんた泣いてるの?顔色も悪いけど大丈夫?」
心配そうにたずねる姉に
「大丈夫だよ。じゃ行こうか。あの子達迎えに行くんでしょう?」
車のキーを持って先に外にでた。
「ゴメンネ。もう少しで免許取れるからそれまでよろしく」
姉が玄関のガラス戸を閉めながらいってきた。

 彼女はつい最近未亡人になった。
義兄は清香と20歳も年齢が離れていたので小さい頃から父親のように可愛がってくれた人
最初の子が生きていれば、清香も夫婦の子供としても通用しただろう。
中学生と小学生の女の子を二人残して逝った義兄と姉は相思相愛
誰もがうらやむほど仲のいい夫婦だった。
 清香はこういう恋愛をして、こういう夫婦になりたいと願っていたのだ
だから義兄の葬式の時は
泣いて泣いてはれあがった姉の顔を見て失神してしまうほど悲しかった

 女には男の気持ちはわからない。
男もまた女の考えていることはわからないだろう。
 遠い海辺の道を車で走る時、浜辺の喫茶店でコーヒーを飲みながら
「このままどこか遠くに行ってしまおうか」
などと彼が言ったりすると姉夫婦の顔がよぎり、母の悲しい顔がよぎり
「そうだねえ、そうできたらいいね。
でも私今のままでいいよ。それにあなたはきっとそうはしないし。
そんな人だったらこんなに好きにならなかったしもうとっくに別れてると思うよ」
こういう清香に笑いながら彼は応えた。
「さやはおかしな女だね。人の心をひきつけたと思ったらぱっとはなしてしまう。
まるで凧の糸に操られているようだよ」

 あの後 彼はどうしただろう。そのまま帰ったのだろうか?
車を運転しながらその姿を捜し求めている清香がいた。
ただその反対の心で
「これで本当に終わったんだ。誤解されたまま私と彼の愛は終わったんだ」と叫んでいた。(追想終わり)

詩集9

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