愛の詩集

ライン

■■それぞれの思い(安さん)■■

安さんこと安原良次はバツイチになって10年になる。
早すぎる結婚は妻めぐみの心の奥にある不満や要望を理解することもできず、ただ
「いつか良ちゃんとお店をもてたらいいな」
と寝物語で甘えるめぐみの希望をかなえてやろうと昼間の仕事をしながら夜間の調理学校に通った。
わがままも贅沢も言わないめぐみに良次は
「何かしてやりたい喜ぶ顔を見たい」
といつも思っていた。めぐみには両親も兄弟もなく頼れるのは良次一人なのでなおいっそういとおしく思えた。
 もともとサラリーマンには向いてない良次は、資格が取れると昼間の仕事をやめて和風旅館の板前修行をはじめた。
下積みの時代は働きの割りに給料は少なく前より生活は苦しくなったが、
めぐみにはそういう苦労はなんともないらしく
かえって自分の夢に良次の目標を重ねて頑張っているのが嬉しそうだったし、
時には落書きのように将来持ちたいお店の見取り図などを描いて楽しんでいたのだ。
そういうめぐみ顔を見るのが嬉しくて良次は必死で働き、早いうちに店の主人にも認められ、
他の店へ応援にいかされるようになっていったが本来人受けのする顔立ちと、
気の聞く応対はどこに行っても人気があった。
良次にその気がなくてもいいよって来る女性客もあり、
めぐみしか知らなかった体は他の女性をもとめるようになっていったのだ。
「良次、お前調子に乗るなよ。遊ぶのはいいけどめぐみちゃんに悟られるな。
女の勘は鋭いって言うだろう。」
先輩が注意をしたときも有頂天になっている良次は
「めぐみは大丈夫ですよ。俺が誰と遊んでも1番大事にしてるのは自分だってわかってるから」
と笑っていたのだ。

 25歳になった良次は応援に行っていた店の仕事が終わって、久しぶりにめぐみの待つアパートに帰ってきた。
鍵を開け部屋に入って呆然と立ち尽くした。その部屋にはもうめぐみのものは何一つなく、
家財道具と良次の少ない持ち物だけが一つの部屋にまとめられていたのだ。
 はっと我に返りテーブルの上においてある封筒に目を通した。
「良ちゃん、お世話になりました。
あなたが嫌いになったわけではありません。ただ、いまの私が惨めでたまらないだけです。
一人で一からやり直します。
今のあなたには私は見えない、ここにいる必要もなくなってしまいました。お元気で」
泣きがら書いたであろうその手紙と一緒に、
良次がめぐみに隠れて付き合っていた女からの屈託のないラブレターが入れてあった。
 めぐみには負けん気の強いところがあって例えばその女が
「良ちゃんは私のほうを愛しているから別れてくれ」
というような文章ならかえって良次に確認するか無視したことだろう。
その女があまりにも自分とは正反対である事に
自信を失ってしまっためぐみの必死の抵抗であり決断だったのだ。

 その後良次は店もやめてしまい、あちこちと
めぐみを探し回ったが見つからず後悔と懺悔と無気力の中で
5年の歳月を酒に飲まれてすごした

ある日めぐみから手紙が届いた。
「ご無沙汰しています。わたしもやっと一生をたくせる人にめぐり合いました。結婚しようと思います。
同封の離婚届に名前と印鑑を押してその郵便局宛にお送りください。
来春には子供も生まれますので早急に手続きをしなければなりません。
ご迷惑をおかけしますけどよろしくお願いいたします」
良次は読み終わったあと、その届けを破り捨てたい衝動に駆られた。
自分の5年間の自堕落な生活がぐらぐらと崩れた。
しかし何回もその手紙を読み返していくうちに、めぐみもまた同じように苦しい時をすごした事を感じる事ができ
今やっと幸せをつかんだのなら自分自身も潔く非を認め、
今だに忘れられないめぐみへの思いに終止符を打つことに腹を決めた。
「驚いたよ。
アチコチ探し回ったけどとうとう5年間君を探し出す事ができなかった。きっとそういう運命だったのだろうか。
俺がめぐみにした仕打ち許して欲しい。俺にはもう君を連れ戻す事も君の夢をかなえてあげる事もできないね。
俺の分まで幸せになってください」

その後1度だけめぐみから電話が来た。
その声もナマリも良次のしっているめぐみのそれではなかった。
目の前に残る面影も声もしぐさも5年の歳月は
ぜんぜん違う人格を作り出していて、それがかえって過去を捨てることができたのだ。

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清香がはじめて「和光」に現れたとき良次はドキッとした。
世の中には似た人が3人はいると聞くがその容姿も雰囲気もあの頃のめぐみとよく似ていた。
働き始めて仕事振りや、時折見せる負けん気の強さ、それでいて底抜けにあかるい。
その明るさがふっと影を帯びるところまで似ていて時々ボーっ見とれているときがある。
バツイチの身としては軽はずみに思いを告げる事もできず誕生日にプレゼントする事から始めようと一人決めていた。

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