愛の詩集

ライン

■■それぞれの思い(拓哉)■■

 拓哉は不思議な感覚の中にいた。
これまで恋愛を経験したことがないわけではないし、島に帰ってからも青年団の集まりには女性のほうが多くて
思いを寄せてくる娘も、結婚まで進めようとする話もあった。
拓哉にしてみればまだまだ自身のこれからのことのほうがはっきりしていないのに
恋愛や結婚などは考える余裕もなくすごしていたのだ。

 小料理屋「和光」に始めて入ったのは
長期出張で島からこっちで働くようになったとき、事務所の先輩が歓迎会をかねてのこと。
こじんまりとした落ち着いた雰囲気に家庭的なママの応対。
板前の安さんもあちこち旅しているらしく話題も豊富だったので時々寄るようになっていた。

 清香に会ったその日は1ヶ月ほどの離島出張からのかえり、
誰もいないアパートに帰る前に人恋しさで「和光」の格子戸を開けた。
「いらしゃ〜い」安さんの元気のいい声に迎えられたその日は、まだ人の姿もなく1番のりの客に大歓迎の様子だった。
 カウンターに腰を下ろして話しながら目の端にちらちらと動く姿がどうにも気になる。
「新しい人かはいったの?」
と何気に聞くと安さんがそっちを見て用事を頼んだ。
いっこうに出てこないその人影に目をやりながら妙に興味がわいてくるというのは好奇心の強い人間の本能だろうか。
 安さんもだいぶ気を使ってるのかその声のかけ方も気になった。
「さやちゃんこれにラップして」
安さんの指図に「さやちゃん」と呼ばれるその娘は
出てくるときも下を向いたままで顔を見せないようにしてる。
お客様に挨拶して」と言われてちらっと顔を上げ
「いらっしゃいませ」
といっただけで頼まれた作業にもたついている
その姿をみていて無性にからかいたくなってきた。
「へ〜!いまどきサランラップも切れない娘がいるんだ」
と笑って言うと、初めて正面から拓哉の顔を見て
「ラップが切れないのは上がってるだけです」
と答えると目の前でピシッと切り取ってすばやく作業を済ませ一礼をしてそそくさと厨房の方へ逃げていってしまった。
名前と歳を聞き出してからは負けん気の強そうなそのはっきりした顔立ちと、
慣れてくるとけっこうおしゃべりで気の使い方もわきまえている。
拓哉が「和光」による回数も増えて来た。が、悲しいかな安月給なので通いつめることはできない。
できるだけ人の入りの少ない日を選んで顔を見にいった。
「一度あったら忘れられない顔だね。さやちゃんの顔は」と冗談をいうと
「前にも言われたよ。なんでかな〜?」」と本気で聞き返してくるのがまた可愛いと思う拓哉だった。

 その清香が今自分の隣で眠っている。
別に下心があったわけでもなく、会社帰りに閉店までパチンコをしてアパートの駐車場に車を止めると
「和光」の前にあるスナックで時間をつぶして出てきたところに清香が仕事を終えて出てきたのである。

「あら待っててくれたの?」
あんまりの偶然に内心戸惑っている卓也に、清香は勝手に誤解したらしくお茶に誘うと今夜だけということで付いてきた。
夜中の喫茶店はスナックに変わっている。
「まっいいか」といいながら話し込んでいるとあっという間に時間が過ぎてとっくに0時を過ぎてしまった
 いろんな話をしている間にも隣の客が
「彼女と1曲躍らせてもらっていいかい」と聞いてくる。
「彼女がよければ」というとそのままその客に手を惹かれて踊り始める清香に
「別に彼女じゃないんだから」と自分に言い聞かせながらママを相手に話している自分がなんとなく女々しいような気がしたが、
その踊る姿になんともいえない華やかさを感じてまた新しい発見にもなった。
「わからないな。無邪気かと思えば妙に大人びていて、つかみ所のない行動が妙に気になる」というと「そうみたいね」と簡単に答えて笑っている。
これが素顔の清香、和光の中ではみられない普段の姿なのだろう。

 とうとう朝まで一緒にいて清香を残したまま仕事に出なければならなくなった拓哉は
「鍵はこの缶の下においといてくれたらいいよ。気が向いたらいつでも来ていいから・・・・」
と別れ際に言ったが清香に聞こえたかどうかわからない。
会社に行くとまた出張命令が出ていた。
「え〜〜、またですか?今度はどのくらいですかね?」
これまでになくしぶり顔の拓哉に上司の村上は
「どうしたんだよ。なんかあったか?今度は1週間だ。突然で悪いけどすぐかえってこれるから頼むよ」
とにこやかな顔で答えた。
「かなわないな〜その顔で頼まれると嫌っていえないや」
拓哉は村上の穏やかな風貌と公私共に責任感のある上司として一目置いているので、
連絡の取り方さえ教えあわずに別れてしまった清香のことが気になりながらも出張することになった。

 離島の空港は人気がなく1日一回セスナが入ってまた帰っていく。
自然の動物が滑走路に入り込んでくるのでセスナが来る前に追い払うのが仕事で
その日の報告が終わると何もすることがなく近くの海に行って釣りをしたり、
民宿で食事をして温泉で風呂を済ませると後は空港に帰って一人音楽を聞いたり本を読んだりの生活だ。
これまではそれも仕事と割り切って日をすごしたが今回だけはどうにも1日が長くて仕方がない。
日曜日の夕方出がけに和光に寄って安さんに伝言を頼み
「これをさやちゃんにお願いします」と手紙を渡したが
受け取りながら怪訝そうな顔の安さんを思い出し
「さやは手紙を見ただろうか。怒っているだろうな。気持ちが伝わっただろうか」悶々とした時をすごしていた。

                山の上の広き草原で
                手に手を取り二人は走っていく
                行く当てなどないけれど
                自然にはずむ足取りは
                いつも未来に走ってる
                サァ君よ!
                その手をさしのべて
                若い力で抱き合おう。
                
                もしも今背中に
                愛の翼がはえたなら
                君を一人ぼっちにさせはしない
                一寸だって忘れられないから
                君よ 攻めてこの想いだけ
                南風に乗せて届けよう

 愛を感じたときから人は詩人になるというが拓哉もまた退屈な時の流れに大学ノートに清香への思いを綴り始めていた。
そこにはまだ赤い糸のつなぎ目さえ見えてはいない。不安だけが募る思いを打ち消しながらの即興詩が白いページをうずめていった。

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