コスモスロード

ライン

■■3章(電話)■■

             

 この部屋に瞳自身が住んでいることは、クローゼットの服に見覚えがあること
サイズがぴったりであることで理解することができた。
自分の部屋なら何がどこにあって、どういう日常を過ごしているのかは
自然と五体で感じるはずなのに。
いざ、電話をと思ってもその電話がどこに置いてあるのかもわからない。
携帯電話が普及してから独身者はわざわざ自宅電話を引くことがなくなっている。
もし瞳が一人でこの部屋に住んでいるのなら

「携帯電話がどこかにあるはずだわ」
ぐるっと回ってみたがみつからない。もう一度スーツケースを開いてさがしてみたが
そこにも入っていなかった。
「もしかしたら、」
瞳は手帳を両腕にだきしめて隣の部屋に走った。
しかし、その時、瞳はまたもや気を失ってしまったのだ。

 気がついたときには、雑踏の中を歩いていた。
そこはビルが立ち並ぶビジネス街。
誰かと待ち合わせでもしているように時計を気にしながら歩いていた。
瞳自身もビジネススーツを着ている。
長い髪を後ろで束ねてそれを巻き上げ濃紺のリボンをつけた網の中に入れこみ、
ばりばりのキャリアウーマンを思わせるいで立ち
歩く速度も女性にしてはかなり早い。
しばらく行くと飲食店系列の雑居ビルの中に入り階段を降りて喫茶店の扉を開けていた。
奥行の広いその喫茶店の奥にあるボックスに目当ての姿を確認すると
やっと落ち着いたように笑顔になり、ゆっくりと近づきながら
束ねていた髪をほどいてその前に腰をおろした。

「課長、契約いただきました。」
うれしそうに
そういって社名のはいいったB4サイズの封筒をテーブルにおくと、
目の前にあるコップの水を一気に飲み干した。
「御苦労さま。大変だっただろう、ここまでこぎつけるには。
おなかすいてるんじゃないか。何か食べたらいいよ。」
目の前に座ってねぎらいの声をかけている男は上司の直木豊、
営業課長という役職を持ち、
社内でも評判のやりてでとおっている。
体形もまた中年でありながら絞られ、容姿も端正な顔立ちに整っている。

「おなかはすいてるけど、いらない。それよりはやく二人っきりになりたいわ」
甘えた声でささやく、それは清楚な印象を受ける瞳と全く別人で、
歩いていた時とも全然違う、妖艶な女の顔だった。
豊は残っていたコーヒーを飲み干すと
「僕はさきにいっとく。岬は、少し腹を満たしてからきたらいいよ。
ついたら連絡するから」
そういうと、財布から5000円札を取り出してテーブルの上に置き店を出て行った。

 ぐるぐるとめまいを感じながら目を覚ました瞳は、やはりベッドの中にいて
それでも夢とも現実ともつかないそれは鮮明に脳裏に残されていた。
「直木豊 上司? 田川・・岬・・・・」
体にけだるさを覚えながら放心したように二人の人物の名前をつぶやいた。
手帳は枕元に置いてある。
本当はすぐにでも開いて、最後のページの名前を確認したいのだが、
なかなか思うように手が伸びずにいた。
その時
「ツルルル、ツルルルル」
電話の音が聞こえてきた。その音がどこから聞こえてくるのか耳を澄まし
ゆっくり起き上がり音のほうに向かって歩くと、
それはサイドボードの上に置いてあった。
思うように動かない体に焦りを感じながらも、受話器を取り 耳に当てると、
「もしもし、僕だけど、今夜は接待でそのまま流れると思うから帰れないよ」
男性からの電話である。
瞳はおどろいて、
「もしもし、あなた誰?」
とかえしていた。
「僕だよ、なんなんだ。自分の夫の声を忘れちゃったのかよ」
そういいながら受話器の向こうで笑っている。
「まっ、そういうことだから、
今夜はあゆみと二人でおいしいもの食べに行ったらいいよ」
「あゆみって誰?ごめんなさい、あなたのお名前は?」
瞳は必死だった。

「あれっ電話番号間違えたかな?僕は直木豊、あゆみは僕たちの娘だろ」
一瞬ためらった風にいいながらも、電話の相手を間違ってはいないことを確信しているように
「瞳、からかうのはやめてくれよ。もうきるぞ。」
とあきれたような声で言った。
「待って!」
瞳は叫んだが、
「ツーツーツーツーツー」
電話は容赦なく切れてしまった。

          生々しい夢を見たのだと思った。
あれは自分ではなかった。どちらにも見覚えがないのだ。
電話の男性は瞳の夫だと言い、二人の間にはあゆみという娘がいるらしい。
「私、独身じゃなかったんだ。それならなぜこんなところに一人ですんでいるの」
直木豊といったその男は今夜は帰らないという。
ここが家族3人ですんでいるアパートなら、娘のあゆみはどうしてここにいないのか。
 瞳は受話器を置くと、近くにあるソファーに倒れ込んで頭を抱えてしまった。
ぐらぐらと目が回る。闇の中をぐるぐると回りながら落ちていくのを体感し
目覚めたときには、キッチンに立っていた。

 エプロン姿の瞳が
途中まで作っていた夕食の材料をゴミ箱に捨てている。
「ママ・・・・どうして捨てちゃうの?」
テーブルの椅子に腰かけてその姿を見ていたお下げ髪の女の子が、
不安そうに声をかけた。
瞳は、はっとして振り返り
「もういらなくなったの。ねえ、あゆみちゃんママとお出かしようか。
お外で何かおいしいもの食べて、それから・・・
どこか遠い所に行ってそこにお泊まりしてもいいよ。」
「ほんと!これから遠くに遊びに行くの?お泊まりしてもいいの?」
あゆみは無邪気な声でよろこんでいる。
そのあと、ためらいがちに
「でも遠くにお泊まりしたら明日学校に行けなくなっちゃうよ。
あゆみお休みしてもいいの?」
「いいのよ。お休みして明日ママといっぱい楽しいことして遊ぼう」
瞳は力のない声であゆみにこたえると、何かをふっきるように
「さあ、準備をしましょう。あゆみ自分でできるわね。
できたらここにおいてママをまっててちょうだい。」
そういうと、エプロンを外してあゆみと子供部屋にいって棚から旅行用の
リュックと、お出かけ用の服を選んぶとベットの上に置き、隣の寝室はいっていった。

 瞳は最近、デパートで買ってきたキャスター付きの黒いスーツケースを
木製のクローゼットの中からとりだした。
その中には、その時一緒に買い込んだ服や旅行に必要なものが
普段の生活のものとは別にいれてある。
スーツケースを開き、もう一度確認すると、
立ち上がってパソコンデスクの隣のCD収納ボックスの隙間に置いてある
チャック式の手帳を取りだした。
服を着替え、化粧直しをするとスーツケースにキャスタを取り付けて
部屋全体を見回した後、部屋を出た。

「ママ〜おそいよ。」
キッチンに行くとあゆみは背中にリュックを背負い、うれしそうにとびついてきた。
「ごめんなさい。ちゃんとできた?」
背中越しにリュックを開いて確認すると、
「だいじょうぶね、あゆみちゃんはもう一人で何でもできるんだからママうれしい。」
そういって抱きしめた。
「痛いよママ〜」
突然に強く抱きしめられたあゆみは驚きながらも甘えた声でされるままにしている。
「あゆみ、あゆみ」
瞳は自分の叫び声に驚いて目を覚ました。

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