小説・花暦

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■■花暦〜沈黙の後に〜■■

 翌日、帰りたくない気持ちを押さえながら、かといって昨夜の知美との会話を思い出すと
ここにもう一晩泊まる事も出来ず、眠れないまま夜明けを迎えた奈緒美は帰り支度を始めていた。
午後から仕事が入っているという娘にこれ以上迷惑はかけられない。
 キッチンに立ち インスタントコーヒーを入れていると知美が起きてきた。
玄関先に荷物を置いているのを確認すると
「夕べは言い過ぎたわごめんなさい。私も色々考えてみたんだけどどういえば良いのか分からないのよ。
言えるのは感情的になって早まった判断をしたらお母さんが損しちゃうんじゃないかって事だけ、だって
怒りがあるうちはまだ愛してるって事でしょう?
今までがんばってきたんだから後で後悔するような事だけはしないで欲しいな・・・
それに今夜まで泊まってもいいんだからね。」
「ありがとう。ここにいても一緒だから帰ることにするわ。
祐美と剛司も一日は家でゆっくりしないといけないし。」

 午後から仕事に行くという知美が、午前中は祐美と剛司を遊びに連れて行き、
一度帰宅して、駅の近辺まで送ってもらい昼食をとった。
 最終の新幹線の時間まで広い構内のお店を見て時間を潰し、自宅に帰りついたのは23時を過ぎていた。
駐車場に祐司の車を確認すると、
「あっ、お父さん帰ってきてる」
剛司が声をあげたが、奈緒美は口に人差し指をあてて静かに入るように促した。
玄関を開け居間を覗くとテーブルの上には 祐司が晩酌のためにスーパーで買ってきた惣菜と
飲みかけのコップが置いてあり、テレビをつけたままの状態でねむりこんでいた。
奈緒美は静かに部屋に入いるとテレビのスイッチを切り、
祐司に薄い掛け布団をかけ電気を消して部屋を出た。
ふすまを閉めたとき祐司がねがえりをうったが、その夜は、旅の延長の思いで祐美と剛司を両脇に床に付いた。

 朝、目覚めると祐司の姿はなく顔をあわせたのは釣りから帰ってきた昼過ぎだった。
全てにおいて沈黙を通そうとする祐司に奈緒美は無関心でこたえている。
子供たちのくったくのない笑顔で旅の話をしているのがせめてもの団欒。
奈緒美は昼食を出しながら微笑み
それを聞いている祐司もまた笑顔で応対している。何も代わりのない休日の風景が今の奈緒美には儚く思えた。

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 一年が過ぎた。そのあと裕司から真実をしらされることもなく あの女性がどうなったかをきくこともなく
奈緒美の痛みはいつか全てに猜疑心をもって観察する癖をつけてしまっていた。変わりなく過ぎていく季節。
流れの中で奈緒美は自身の自立をさまざまに考えてきた。子供たちは相変わらず呑気に学校生活を送り、
祐司の生活も変わらない。自分だけが必死になってそれが返って不安や恐怖を呼び起こす事をおもいしらされ
『かえって知らないでいることが幸せなのかもしれない』
と思えるようになった頃、不意に同級生の生成奈保子から電話があった。
「お久しぶり。突然にごめんなさいね。同窓会ではあまり話しが出来なかったんだけど、
あれからなんとなく気になってて、連絡を取りたいと思いながら中々時間が取れなかったの。元気にしてる?
いちどあえないかしらとおもって電話してみたんだけどどうかしら?」
「私は一向に構わないけど、」
そういったあと
自分も何故か奈保子が気になっていて、何回となく住所録を手に受話器をあげたことがある。
とこたえると
「そうだったの?かけてくれたらよかったのに。といいたいけど私もいろいろあって殆ど家にいなくてね。
いてもゆっくりはなす時間なかったかもしれないけど」
そういいながら引き込まれるようなあの笑い声が帰ってきた。

 奈保子は同窓会のときの貞淑な妻としての姿と奈緒美の物憂い表情が目に残って気になっていたという。
しばらく世間話をしたあと、奈緒美は
「出来るなら一度あって話がしたいんだけど奈保子さんとこお邪魔させていただいていいかしら?
私の家に来ていただいてもいいんだけど」
そう尋ねて見た。
「そうねえ、電話で話すより顔を見て話したいわよね。じゃあ、私がお邪魔させていただく事にするわ。
明日でも大丈夫?」
「ええ、家はいつでも大丈夫よ。」
奈緒美が答えると、奈保子は、少し間をおいた様子で口をひらいた。
「実はね私も会いたいなって思って今日、電話をかけたのよ。明日そちらに行く用事があってね。」
「あら、近くにお知り合いでも?」
「病院なの、詳しいことはまた会ってから話すわね。用事が終わったら電話するから道案内宜しくね」
「わかったわ。じゃあ明日おまちしてます」

 遠方よりの来客を迎えるのは何年ぶりだろう。
親元を遠く離れていることで親戚づきあいも無く、近隣の友人達が訪ねてくるだけの生活をしている奈緒美には
奈保子の訪問はひさしぶりに胸の躍る出来事だった。
一年を沈黙の中に過ごした奈緒美に、奈保子からの突然の電話は、新しい風を吹かせてくれそうな気がしていた。

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