小説・花暦

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■■花暦〜惜別〜■■

悶々とする日は続いていたが変わりなく家事をこなし教育と近所づきあいを両立しながら三ヶ月が過ぎた。
奈保子からの連絡は無く、尋ねていくべきかどうかを迷っていたある日小さな小包が届いた。
送り主を確認すると、見知らぬ名前とその横に生成奈保子様よりと書き添えられてあった。
奈緒美は不審に思い、急いで小包を開けると
そこには一冊の日記帳とパッチワークで作られたひまわりの花が添えられていた。
居間のソファーに腰を下ろし、日記帳のページを捲ると最初のページに
「人生最後の親友奈緒美さんへ」
と日記のタイトルが筆ペンで書かれている。
次のページを捲ると
「ねえ、奈緒美さん」
と呼びかけ、次のページにも、またその次のページにも、奈緒美に語りかけるように綴ってあった。
奈緒美は時間を忘れて読み続けた。
その中には奈保子が結婚してからの事や、子宝に恵まれながらも
主人の浮気という性癖に悩まされ続けてきた事実を赤裸々に書き綴られていた。

 〜ねえ、奈緒美さん。お邪魔してからもう、2ヶ月が過ぎてしまいました。
検査が終わったら連絡すると言ってお別れしたけど、残念ながら連絡は出来ないようです。
よくなってきていたはずの病気が又再発してしまったらしいの。
そのまま闘病生活が始まって、とことん落ち込みましたが
貴方とお話できるこの日記があって書き続けるうちに色んな事を思い、反省し、そして今は感謝と
私にかかわってくださった方々のこれからの幸せを心から祈れるようになりました。

 あんなに元気だったのに、
まさか自分がこんな人生の半ばで命を絶たなければならなくなるとは思いもしないことです。
私が病気になって、主人は変わりました。子供達もこんな私を支えてくれています。
余命いくばくも無いことを主治医から知らされたとき主人は初めて私の前で涙し、此れまでの非道を謝りました。
でもね、やはり一度ついた傷はどう振り払ってみても、消しゴムで消してみても、元には戻せない。
それを受け入れた上で、私自身が精一杯生きた証しとして主人を許そうと思います。
また、子供達は宝物です。まだ成人していない子供がいるから残していくのはつらいけど、
彼等のこれからのためにも私は主人を許そうと思います。
愛し合って夫婦になったけど、人は人 関りあう事はできても一つにはなれない。別々の心を持つ他人です。
もしかしたら本当に結ばれるべき相手を間違えてしまったのかもしれないと思った時期もありましたが
今となっては目の前にいる主人がそうだったと思うより他ありません。私の命は後わずかしかないのですから
「お前をこういう目に合わせてしまったのは自分だ』
と謝り続ける主人が憐れに思えて
「ちがうわ。貴方の悪口をいっぱい言ってしまったからばちがあたったのよ」
と笑っていられる今の自分が不思議です。

 奈緒美さんの表情に自分自身を感じたといったこと覚えていますか?
貴方も私と同じ事で悩んでいて、私と話すことでこれからの自分を見出そうとしているのではないかしら?
あって話すことはできなくなったけど、私の最後の親友へのはなむけの言葉として
貴方は貴方のままで生きていって欲しい。貴方の笑顔は人を明るくするし、悩んでいる姿は似合わないのよ。
ご主人もそういう貴方に惹かれて結婚を申し込まれたと思うし、貴方のその笑顔がご主人を支えてきたと思います。
あなた自身が傷つかないためにもかんぐらない事、攻めない事、そのままでいらっしゃい。
男は本能 女は感情。此れがぶつかり合ったら畜生です。
あなたには綺麗な場所で綺麗に生きていって欲しい。あなた自身の誇りをうしなったら駄目です。
いろいろあっても善くするか悪くするかはあなた次第なのだから
そして、これからの人生は一人ででも生きて行けるように準備をなさい。人はいつか死を迎えます。
誰人にも必ず別れのときは来るのです。いつか生まれ変わったとしてもそれは今の自分ではない、
同じときに生まれ合わせたとしても同じように夫婦になれるとは限らない。
だからこそ、一緒にいられる間を大切に、外で起きていることには無関心でいることです。
感情をあらわにして自分を貶める事はしないで欲しい。

 私が修復できなかったことをあなたに託そうとしている自分がいます。
人生最後のときにあなたに再会できたこと、心から感謝しているのよ。
あの日の食事は本当においしかった。あの時間は私にとって最高のひと時でした。
この日記は家族の誰にも見せてはいません。
入院してから私についていてくださった介護士さんに頼んであなたに送ってもらうことにします。 
                              
                                      至らぬ妻 愚かな母 生成奈保子〜


 日は落ちて部屋の中も薄暗くなっている、読み終えた奈緒美は暫く放心状態でいた。
奈保子はもうこの世の人ではないのだ。差し出し人の介護士からのメモ書きには、
「生成さんがこの包みを僕に渡されたとき、今出してきましょうかといいましたが
あなたのついでが在るときでいいわといわれましたので、そのままにしていました
それから様態が悪くなり一週間後に亡くなられ、お届けするのが遅くなりました事どうぞお許しください。
生成さんは僕にとっても忘れる事の出来ない素晴らしい女性で、最後の最後まで明るく
どこか旅行にでも行かれるように旅立っていかれました。合掌」

生成奈保子は悩み続ける奈緒美の前にふっと現れ心を見透かし、その答えを死の間際で教えてくれた。
『奈保子さんありがとう。私のほうこそ感謝します』
奈緒美は頬を伝う涙を指先で拭きながら奈保子の日記をテーブルの上に置き静かに手を合わせていた。

         〜人逝きて 眼(まなこ)に残る微笑みは 揺れる心の糧となりぬる〜

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