小説・花暦

ライン

■■〜花暦〜〜■■

その日から徐々にではあったが奈緒美に変化が起きていた。
以前より活発になり、積極的に自分と向き合うようになっていた。
家庭があり、家族がいて、妻が家を守っているから夫も仕事一筋に生きてこられた。
今ある環境は、夫婦お互いの協力と努力なしでは成り立って来なかった。

 年数はどのように愛し合い求め合って結婚したとしても、そこが終着点ではない。
人生のスタートラインに足を踏み入れただけのこと
それからの20数年を振り返ったとき、
奈緒美は、自分自身の理想を夫祐司に求め押し付けてきた事を反省した。
置き去りにされたまま、一生を過ごすのではなく、自分は自分の道を歩き始めよう。
『それぞれがそれぞれの場所で、精一杯生きて、幸せを感じられたらそれでいい。
限られた人生を大切に生きる事。必ずしも夫婦となった相手が最後の人ではない。

女である奈緒美が男である祐司を煩悩という執着から解放することでひとりの人間として
自分も解放されたように思えるようになった。それが、よい事なのか悪い事なのか
こんな心根で夫婦生活を続ける事がいいのか、いけないのかまだ判らない。
ただ思うのは、お互いが同じ場所を共有することを必要とされる間は
その空間を楽しく過ごせるように努力すればいい。

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出会った頃の奈保美は、明るい笑顔が素敵だと思った。
付き合い始めて内面的なかげりを垣間見るときがあり、
逢うごとにそれを取り去ってやりたいと思うようになっていった。
いつでも笑顔でいる奈緒美を見ていたいと思うようになり、
まだ先の見えない状況に在る自分自身をもてあましながらも
次へのステップとなる仕事を探しはじめた。
「奈緒美を幸せにしてやりたい。充実した家庭生活を送れるような仕事が欲しい」
そういう思いが通じたのか
降って沸いたような情報が舞い込んできた。それが今の会社である。
難関を突破して勝ち得た会社であり長年の努力によってあたえられた今の立場で
それがかえって奈緒美には専業主婦という囲いの中に閉じ込め、暗黙の中の了解で全てが収まる
という夫婦関係をつくってしまったかもしれない。

 島村祐司は会社の事を一切家庭には持ち込まなかったし、
経済的な問題も家庭に負担を掛けないように最初の段階で分担してきた。
それでも時には自分が口に出さなくても外からの情報や自分の油断で不安にさせることもあり、
それがわかっていながらあえて、無関心をよそってきたのは知らなければ幸せでいられる。
自分が犯してきた罪や問題は全て覚悟の上で解決していくと決めていたからだ。
全てが明らかになっても、なんでもないように過ごしている妻にいいわけをすることも、
謝る事すら出来ない自分が苦しいのは当然の報いだと思い、沈黙を続けている。

 一時期、妻の心が見えなくなったときがある。
振り返ってそこにいるはずの妻が反対方向に歩いていく夢もみた。
独りで眠る部屋で大きな黒い蜘蛛が目の前に現れ飛び起きた事もある。
しかし、現実の生活は何ら変わらず、いつも楽しげに笑っている妻の姿と 
他愛のないことで兄弟げんかしてたしなめられている子供たちの姿があった。

 今はただ、自分の腕枕の中で眠っている奈緒美に
『余計なことを考えるな。先走った行動を取るな。』
そう念じるしかない。

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