小説・花暦

ライン

■■花暦〜心の鎧〜■■

「もしもし 近くまで来ています。」
奈緒美は敦子の顔を見た。敦子は黙って見つめ返した。
意を決して
「わかりました、会いましょう。でも本位ではないという事は理解してください。」
奈緒美は受話器を置くと敦子に告げた。
「私に会うことで踏ん切りをつけられるって言うなら会って話を聞いてくる。
病院通いしてるってことも気になるし」
「大丈夫?」
敦子は奈緒美の真意を確かめるように聞き返した。
「アッ子ちゃんの話しを聞いてて気持ちがだいぶ落ち着いたからね、
それに私には守らなきゃならない生活があるから何を聞いても取り乱したりしないし、
ましてや私の知らないところで起きてる事だし、もう大丈夫よ」
いまは、いつもの冷静な奈緒美にもどっていた。

 「ただいま」
玄関を出ようとした時、短大生の祐美が帰って来た。
「あら、おかえりなさい。今日は早かったのねえ。
ママこれから人に会わなきゃならないから出かけるね。」
「遅くなるの?」
「一時間くらいかな?ママ頑張って来るから」
ふっと漏らした言葉に祐美は
「何を頑張るの?可笑しなママ。」
敦子に会釈をし、笑いながら自分の部屋に入っていった。


肩を並べて歩きながら
「私、一緒に行こうか?」
敦子が心配そうに聞いてきたが奈緒美は娘の姿を見たことで腹が据わっていたので
「大丈夫!心配しないで、帰ったら連絡するから。」
そういうと両手にこぶしを作って見せ、先に行ってと促した。
 家の前の道を少し行くと大通りに出て右に曲がると薄紫の普通車が止まっている。
敦子がその横を通り抜け次の角を折れ姿が見えなくなるのを見届けると
奈緒美は止まっている車のところにゆっくり歩いて行った。
冷静に対応する事、聞くだけ聞いてこちらからは言葉をかけないこと
それだけを心に言い聞かせていた。

 車の中からスーツ姿の小柄な女性が頭を下げ、身を乗り出して助手席のドアを開けた。
重い空気が漂い、奈緒美が黙って助手席に座り、シートベルトをかけるのを確認すると
車のエンジンをかけ静かに発進した。
しばらく走って沈黙を破ったのは女性だった。
「私は娘と私の父親と暮らしています。一度も結婚はしていません。」
「娘さんですか?」
一瞬ドキッとして聞き返した。
「娘はもう成人しています。昔付き合っていた人の子供です。」

 女性は名も名乗らずに一方的に自分の話をつづけている。
「始まりは娘の父親が自殺して私が落ち込んでいたとき、
あの人に苦悩を打ち明けると私の話しを黙ってきいてくれました。」
そのときから私の心の中にあの人がす〜っと入ってきたんです。」
奈緒美は血液が体内を逆流するのを抑えながら
「あなたは家の家庭環境をご存知でしょうか?」
と聞いてみた。
「しっています。あの人が家庭を壊す気がないことも。

 車は海のほうに向かっている。
祐司が休日になると早起きして釣りを楽しむ場所であり、家族で釣り糸をたらした事もある。
何故ここを知ってるんだろう。まさか釣りも一緒に楽しんでいたのか、
家族の憩いの場所であった筈のこの場所が不倫相手との逢瀬の場所だったのか。
 夫への不信が募ってくる。それでも奈緒美は黙って絶えていた。
岸壁まで数メートルのところに港に停車すると、女性は前方を見据えながらため息をついている。
「なにしてるんだろう」
吐き出すように呟くのを聞き取ると奈緒美はまた聞いた。
「あなたは家の状況を知っているといわれましたね。
主人からて家庭の愚痴とかもきかされてたんですか?」
「いいえ、あのひとはそういうことは何もいいません。」
「それなら何故、何でも知っているっていえるんですか?」
「私はいつもあの人を見ていました。それが理由でわたしたちは何回も大喧嘩をしました。
お酒も飲むと人が変わるから飲まないでと何回も言いましたし。
私に気持ちが向いているときは控えてもくれたけど、
私達の関係は2年前に終わりました。
今は、電話にも出てくれません。
「僕たちはもう終わったんだからいつまでもそんな顔をしないで笑ってくれないか」
っていうけどそんなことできるはずがないのに。
私だってそちらの家庭を壊す気もないし、働いているからお金が目的でもありません。
ただ時々会うだけでよかったんです。」
奥様が可愛そうだといっても『知らなくて幸せなこともある』といって顔色一つ変えない。
何故、罰があたらないんだろう。 あの人は最低な男です。病気なんです。」

 奈緒美は憎々しげに喋る続けるのを聞きながら
妻の自分が知らない事をこの女性はすべて知っているといい、
こともあろうに、妻である自分の前で最低の男とののしるのをみてあきれながら
「あなたのほうが私より奥さんですね。主人は家ではそういう姿は一度も見せません。
よき夫であり尊敬に値する子供達の父親ですから。そういう事を聞いても理解できないんですよ。
それにもう、終わっているならそれでいいじゃありませんか。
私には守らなければならないものがりますから、外で起きていることに口は出せませんし
主人に聞いたとしても答えないでしょう。」
そういうと、
「そうでしょうね・・・・
「私は何でこんなことしているんだろう」
また、自分を理解できずにいるような言葉を発してため息をついている。
奈緒美はそういう彼女にかえって哀れを感じていた。

「でも奥様に会えばあの人への気持ちに踏ん切りがつけられるかもしれないと思ったんです」
しばらくの沈黙の後
「それで? 私にあって、話すだけ話して踏ん切りがつけられそうですか?」
と奈緒美が尋ねると一瞬、驚いたような顔をして
「わかりません。」
と応えた。
奈緒美はこれ以上この女性の話を聞きたくないと思い、
「もうよろしいでしょうか?あなたは独身で仕事もしていらっしゃるし、
何時までも最低な男をひきずって過ごすより新しい人生を見つけられたほうが良いのでは。
自由なんだからきっかけはたくさんあるでしょう?」
そういうと、
「私なんかに声をかけてくれる人はいません」
と、呟いた。

 奈緒美は、横にいる女性より、夫祐司に腹立ちを覚えていた。
自分の心の中にあった、祐司への尊敬も信頼もプツンと音を立てて切れた。
「子供達が待っていますので家に帰ります。」
というと、女性は車のエンジンをかけ走り出した。

「あの人には新しい女がいます。」
また、話し始めた。
「どうしてそういう事がわかるんですか?」
「私は何でも知っているんです。あの人のところにも行って来ました。

 これまでの夫婦生活の中で、夫がよりよく仕事が出来るようにと
気がかりな事があっても問わず語らず、つまらない事で争いはしないように
努力してきた。
して欲しい事も言えず、子供達の成長段階に起きるさまざまな問題も
一人で処理してきたのだ。
それなのに20数年が過ぎた今
夫の裏切りをこんな形で知らされるとは。
それでも奈緒美は取り乱すことはしない。いまはそれが家族を自分を守る精一杯の抵抗だった。

ライン

VOL2

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