小説・花暦

ライン

■■花暦〜氷の世界〜■■

車は、さっき乗った場所に止まった。
長居はしたくなかったが、。今後のために一つだけ聞かなければならない。
奈緒美は自分が取り乱さず対応できた事、隣の女性に対して哀れみを感じている事、其れと同時に
夫祐司への信頼も失っている事を胸に釘をさした上でたずねた。
女性は彷彿とした顔で頼りなげに応えた。
『私にどういう印象をもたれましたか?』
『強い人ですね』
奈緒美は、この女性は今日の自分の印象をそのまま祐司に伝えるだろうと思った。
別れたといえまだ会う機会もあり、妻の元へ行くという女に「勝手にすれば」といい、
家庭を守るために必死に生きてきた妻には何も知らされないままこういう状況になったのである。
今は、もち前の楽観主義で良い方に考えようとしても祐司に裏切られていた事実と4年もの間
解決出来ず、なんでもないように子供たちに接し、
奈緒美には肉体関係も持って来た祐司の神経が理解できなかった。
いや、理解できていたはずだった。祐司は若い頃から
『男には外に出ると7人の敵がいる。何があっても自分の居場所は奈緒美と子供たちがいるところだから、
振り回されて軽はずみな行動をとるような事はしないでほしい」
といっていたから。
奈緒美自身も、姿が見えないところでの疑惑なら、しばらくは悶々としたときを過ごしたとしても
此れまでどおりいつか消えていくものとして今、自分がやるべき事に心血を注ぐ事が出来た。


 『今、私があなたに言えるのは・・・・・
一日も早く、今の状況から抜け出して新しい幸せを見つけてほしい。それだけです。
二度とお会いする事はないでしょう。』
奈緒美はそれだけ言うとドアを開けてそとにでた。
 その後をおうように、女性は口を開いた。
『私も波乱万丈な生き方をしてきました。』

奈緒美は振り向かず、応えず、車の外に出て女性が発進するのを待った。
静かに走り出すと、頭を深々と下げその車を見送っていた。
何故そういう行動をとったのか。
『すべてが解決しますように、解決してくれますように』
見えない何かに対して懇願の思いでいっぱいだったのだ。
なぜなら、自分は母親として子供たちを守らなければならない。
何も知らずにはしゃいでいる子供たちに、父親を必要としている子供達に
悲しい思いはさせたくないし、自分の感情で今の生活を壊すわけには行かない。

********************************
 
 「ただいま」
玄関を開けると祐美が迎えてくれた。
「大丈夫?顔色悪いよ。2回くらいアッ子おばちゃんから電話があったからね。」
報告を聞きながら奈緒美は居間のソファーに体を沈めると
「祐美ちゃん、コーヒー飲みたいの。湧かしてくれない?」
と声をかけて子機に手を伸ばした。

「ああ、あっこちゃん。心配かけてごめんね。帰ってきたよ。」
とりあえず敦子には報告をいれなければならない。
「大丈夫よ。そうね、今日はもう疲れちゃったし、子供も帰ってるしね。
うん、はやくやすむことにする。うん、また明日の午前中に・・・・今日は色々とありがとう」

「元気そうで良かった。夜にでも会おうか』
といってくれた敦子に断りを入れると、今まで張り詰めていた緊張が解け、
体中がぐらぐらしているのを感じて、静かに目を閉じた。
「ハイ、ママ。コーヒー飲んで。」
祐美が、奈緒美専用のマグカップをテーブルの上に置き、自分もその隣に座って
「ママが人と会うのはいつもの事だから、心配はしてないけど、今日はいつもと違う気がするの。
もし私が聞いてあげられることだったら話してくれていいよ」
祐美は繊細な心を持っていて、人一倍気を回し、周りの人間を喜ばせようとするところがある。
そういう娘の様子を見ていて祐司がいったことがあった。
「祐美は祐美らしくありのままの自分でいたらいいんだよ」
その言葉にまだ小学5年生だった祐美は
「私は優しくしてほしいから優しくするの。でも優しくしても意地悪な人もいるけどね」

「ありがとう、祐美ちゃん。でも、ママね今日はだいぶ疲れてるみたい。
コーヒー飲んだら少し横になるね」
「わかった。」
祐美が居間を出て行くと、奈緒美はコーヒーを飲み干し、ソファーに横になった。
此れまでの人生が走馬灯のように流れては消えていく。
涙が溢れ、目じりに堕ちていった。叫びだしたい思いがのど元までこみ上げ
心臓がゴトゴトと音を鳴らしていた。
祐司と顔をあわせるには時間がほしいと思った。
でも奈緒美には完全に1人になる場所もない。
しばらくして、高校生の剛司が部活を終えて帰ってきた。
寝ているわけには行かない。

変わりない夕方の時間が過ぎていく。奈緒美の心の中の暗闇とは正反対の明るい家庭。
日曜日にしか団欒はとれないが、父親のいる家庭。子供と自分だけの家庭。
それぞれが自由に自分のことを自分でするように育ててきた。
何が起きるか分からない世の中だから、いつもなかよくしていたい。
此れまで自分が作り上げてきた家庭が一人の女性の出現によって壊されようとしている。
その鍵を握っているのは自分。何がいけなかったのか、どこに非があるのか、
奈緒美には解らなかった。人の心が解らない。信じるものが見えない。
子供たちがテレビのバラエティを観て奇声を発しながら笑っている
一人、氷の世界に閉じ込められようとしているのを全身で感じていた。

ライン

VOL2

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