小説・花暦

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■■花暦〜動揺〜■■

 入社して研修期間を終え、管理職として事務所を与えられてからずっと7時半まで職場に待機している。
月2回、3回の会議と月末には社員の慰労会。状況によっての接待と殆どが酒を飲まなければならない仕事だ。
新婚旅行から帰って次の日から帰宅時間は午前様だった。
時には酔いつぶれて朝まで眠り込んでしまった事もある。
奈緒美は上司にこの仕事の状況を聞かされていたので、婦人の助言や姿を見て、祐司のためになるように
と自分を控えて生きてきた。
仕事の事には一切口をいれず、祐司の素行にもみてみぬふりをしているのがわかった。
祐司はマイペース型の人間だということは承知の上だったし、奈緒美もまた自己中心的なところを持っている。
お互いがお互いを観賞せずにいる事でそれぞれの自由をあたえられる。暗黙の中に成立した関係だった。
そうおもいこんでいたのは自分だけだったのかもしれない。
そういう生活に満足し胡坐をかいてしまった結果が今回の事件の原因なのか。
いや、何回となく奈緒美は夫に対して疑問をぶつけてきたはずだ。
そのたびに、「しらない」と言う言葉一つではぐらかされてきたのだが、
それ以上に問いただすことが出来なかったのは、結婚前の手紙のやりとりの中で
『もしこれからの人生の中でわけの分からない事がおきたとしても、
感情に流されて先走った行動は取らないで欲しい。
何があっても黙ってついてきてくれるなら一生可愛がってあげる』
と言う夫からの要望があってのことだった。


 奈緒美にとって、わけの分からない事はたびたびあった。
 最初は長男が生まれた頃、その日も明け方に帰宅して祐司は仮眠も取らず
シャワーを浴び、自分で沸かしたコーヒーを飲んでいた。
「帰ってたの?伝える事があってずっとおきてたんだけどいつの間にか寝ちゃったみたい」
奈緒美が亨の横を離れて寝室からでてきた。
居間のソファーに腰を下ろしてテレビを見ていた祐司が
「ああ、駐車場まで帰ってきて車の中で眠ってしまったみたいだ」
そういうと、
「前にもそういうこと言ってたから何回か亨と一緒に見に行ったのよ」
なんでもない風に装いながら反応を見ているのを感じたが、
「伝えたいことってなんだったの?」
と話をそらせた。
「名前は仰らないんだけど男の人から電話があってね。帰ってきてるかって」
それから2回、3回かかってきて最後には奥さんなのに自分のだんながどこにいるのかもしらないのかって
どこにいるかぐらいきいとけって怒られちゃった」
祐司は今抱えてる仕事上の嫌がらせだという事はわかっていたが
「ああ、きっとマージャンの誘いだ」
と、かるく交わそうとしたが、その返事を聞いて奈緒美の顔が変わった。
半泣き状態で祐司を睨み返し
「マージャンの誘いですって、何回もかけて来て挙句の果てには
『旦那の居場所も知らないのか』
なんて、妻の資格も無いような事を言われて名前もいわない男に馬鹿にされたのに・・・」
奈緒美は畳をかきむしりながら泣きはじめた。
その姿をみながらも、
「ちゃんといっとくから、もう時間だから仕事にいくよ」
と会社に出て行ったのだ。

 泣いている母親をまだ2歳にもならない長男亨は幾度となく慰めてくれたものだ。
そういう生活の中で転勤があり長女知美を産み、
そのあと行った先々で次女祐美、次男皓司が生まれた。
奈緒美は育児に気を取られる事の方が多くなり祐司との対話よりも
友人達とも子育て談義の方が多くなっていった。
寂しさや疲れを主人ではなく友人達との対話の中で発散し、家庭の中に置いては
父親を交えた和やかな団欒のときを作る努力をしてきた。
姑の皮肉めいた言葉も笑いで返し、実家にも
愚痴めいたことはいっさい言わずにこれたのは、遠く離れての生活だったからだ。
それが今となれば、『非の打ち所の無い主人を持った幸せ者』
何か不祥事があったときには世間は妻を攻めるんだろう。

 今、まさにその不祥事が目の前に突きつけられたのだ。
奈緒美はこれからをどう生きればいいのか。祐司とどう接していけばいいのか。
子供たちはどうなる。
全てが、自分自身の言動、行動にゆだねられていると思うと胸が締め付けられ、
呼吸をするのも困難なほど苦しかった。

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