季節(とき)のワルツ

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■■序章(出会いの季節・春)■■


心地よい春風が吹いている。
目の前に見える風景は一面のなだらかな山並みとその麓を流れている川。
その川沿いの道には菜の花がゆらゆらゆれながら咲き、その香りが窓から部屋の中に間で流れてくる。
 自称 童話作家。まだ一度も投稿したことはないが書くことが大好きな岡野美園、24歳。
1年前 両親が転勤で県外に行くことになり、やっと就職が決まったばかりだったこともあり祖母の家に残ったのだ。

 今日は日曜日 美園は書きかけの原稿用紙に頬杖をつきながら窓から外の風景をぼんやりと眺めていた。
「あらっ?」
川の方から、大柄の男性が一人駆け上がってきた。
旅行者だろうか、この辺では見かけない風貌なので気になりその様子を見守っていると
そこに腰を下ろし川の方を眺めながら風景をカメラに収めている。
「誰だろう?こんな田舎に何をしに来たのかしら」
お得意の空想が妄想に変わり、原稿用紙に
「その男は身長180センチはあるだろうか、薄手のベージュのジャケットに黒いジーンズを穿き、
黒いハンチングを深めにかぶっている。後姿から見る姿勢ではまだ若い青年のようだ」
と、走り書きをしていた。

 暫くすると用事がすんだのか、その青年は横においていたショルダーバッグを手に取って肩にかけると
すっと勢いよく立ち上がり菜の花の道を大道りへとあるき始めた。
「ふ〜っ!なんなんだろ。」
 美園は今まで見ていた光景にため息を付きながらつぶやき、夢から覚めたように机を離れキッチンに向かった。
妙にのどが渇いていたので冷蔵庫を開けてみたが何もない。
「おばあちゃ〜ん」
祖母愛子を呼んでみるが返事がないということは買い物に行ったか畑に行ったか。
大正生まれの愛子はとにかく働き者でこんな天気の良い日は家でじっとしていることができない性分だ。

 「も〜おばあちゃんたら、出かけるときは声をかけるかメモ書きでも残してくれたらいいのに」
ブツブツ言いながら財布を持つと近くの店に飲み物と昼食を買いに出た。
街中から外れたところにあるので店は小さいが対外の食料は置いてあるので生活に支障はなく、
店が休みでも電話一本で開けてくれるので大いに助かっている。
欲を言えば24時間体制のコンビニにしてもらえれば宵っ張りの美園としてはもっと嬉しいのだが。

「ごめんくださ〜い」
元気よく店に入っていくとさっきの青年が店の女主人洋子となにやら話しこんでいる。
美園は何食わぬ顔で、その横を通り抜けようとしたが洋子に呼び止められた。
「あら,美園ちゃん。いいところにきたわ。愛子おばちゃん家にいる?
この方韓国から人探しに来られたみたいなんだけど。50年も前のことなんて何にもわからないし
話を聞いてもらえるよう頼んでくれない?」
 美園は振り返りながら洋子を見、その青年に軽く頭を下げた。
「いま、おばあちゃんは家にいないの。
黙って出てってるからどこに行ったのか何時に帰るのかもわからないし」
役に立てないことを申し訳なさそうに洋子の方を見て言うと
その青年は日本語が理解出来るらしく、
 美園に握手を求めながら
「こんにちは。僕はキム・ソルジュです。
戦前、日本に渡った祖父がここに住んでいたということがわかったので生前の様子を知りたくてきました。
祖父は韓国に家族を残したまま日本に来て、戦後の法律で帰れなくなくなったときいています。」
自己紹介と事情を話してくれた。美園は戸惑いながらも
「初めまして、わたしは岡野美園です。日本語お上手ですね。言葉なんでもわかりますか?」
ときいてみた。愛子を紹介するにも言葉が通じなければどうにもならないと思ったからだ。
何せ英語力もないところに韓国語などこれまでまともに聞いたこともないのだから。

「大丈夫です。僕は2年間東京の大学に留学していました。たいがいの日本語は理解できるし話すことも出来ます」
ニッコリと微笑んだその顔の優しいこと。美園は思わず見とれてしまっていた。
「あ、ごめんんさい。わかりました。でも、おばあちゃんに聞いてみないと返事は出来ません。
キムさんは暫くこちらにいらっしゃいますか?」
「僕は写真撮影の仕事をしています。まだ暫くはこちらに見て回るところがあるので
おばあさまにあえる時はここに連絡してください。よろしくお願いします。」
 キム・ソルジュはポケットから名詞を取り出し美園に手渡した。
 美園はちょっと意地悪をしてみたくなり
「もし、おばあちゃんが会いたくないって言ったらどうしましょう」
といってみた。
「ハハハ、そのときにも連絡してください。どうしたらいいか美園さんに教えてもらいたいから」
なんと屈託のない笑い方をする人だろう。
美園の心の中にすっとさわやかな風が入り込んだような気がしていた。

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VOL2

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