季節(とき)のワルツ

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■■時をかけた男(キム・ソルジュ)■■

「どうぞ、お入りになって、」
愛子はその人物が来ることを承知していたのだろう。
席を立とうとする二人を抑えるように
「いいのよ、気楽にしていてちょうだい。昔ながらのお友達だから」

 襖が開いて腰の低い温厚そうな老人が姿をあらわした。
「お邪魔させて頂きますよ。食事はおすみでしょうか?」
と挨拶をしながらゆっくりと頭をあげてキム・ソルジュと顔をあわせると一瞬驚きの表情をし、
その後 懐かしそうに目を細めながら
「オオ、これはこれは、愛さんが必死になるのも当たり前だ。」
と横で笑ってる愛子を見ながらゆっくりとかたりかけた。
「ようこそこんな山奥まできてくださいました。いやいや本当によく似てる。雰囲気もそのまんまだ」
突然あらわれたこのホテルの隠居という老人の言葉に、どう対処していいのかわからずにいるソルジュに
愛子は優しいまなざしを向けながら
「こちらは赤松清二さん、昔とってもお世話になった方なの。
御子息が跡を継がれて温泉宿からホテルに改装されてからは、御隠居のお遊びでこのお宿だけを管理されてるの。」
というと今度は
「清さん驚いたでしょう?私も始めてこの人に会った時立ちくらみしたんだもの。
キンさんのお孫さんでキム・ソルジュさんよ。それとこの子は私の孫、優子の娘で美園です」
と老人のほうに顔を向けて二人を紹介した。

 ソルジュは左手を腹の辺りにあて右手で握手を求めながら
「はじめまして、私はキム・ソルジュです。ご縁があって祖父がいた町を探し当てることができました。」
そういい、嬉しそうに切れ長の目を細めて感謝の言葉を述べた。
「どうぞ気楽に、私も愛さんの昔馴染みということで今夜はくつろぎますんで、さあ一緒に飲みましょう。
何でも聞いてください。といってもここにいるときの金さんしか知らないんだけどね」
 ソルジュと美園にビールを注ぎながら、愛子に向けたが断られたので自分のグラスに注ごうとすると
すかさずソルジュが手を伸ばし赤松老人のグラスにビールを注ぎいれ 4人は申し合わせたように乾杯をした。

「ああ、嬉しいな〜。まさかこんな不思議なことに出会えるとは 愛さんわしは長生きして本当によかったよ。」
と温厚な顔立ちをくしゃくしゃにして喜びを表し
「ソルジュさん、あんたのおじいさんて人はとても思慮深くて当事の朝鮮人にしては別格の人だった。
時代が悪かったから仕方のないといや仕方がないんだが、けっこう荒くれがここいらにも流れてきていてな。
いろいろ問題も多かったんだ。
言葉の通じないところのいさかいもうまいこととりなしてくれて何度も助けられたし、
そういう荒くれをキンさんはよく面倒見てたんだ。自分のことおいてそいつらが国へ帰れるよう相談にものってた。」
赤松老人はハッと自分の発言に気付いて
「あの時代は日本中が貧しくて、無理やり連れてこられたとは言え世間は彼らに冷たかったんだよ。
どうにもならない身をやくざな世界に利用されたり、挙句の果てには飲んで暴れての修羅場があったりで大変だった。
キンさんに頼まれて雇ってはみるが真面目に働いていても心ない日本人の嫌味な言葉に喧嘩しちゃあ逃げてしまう。
あの頃はそういことの繰り返しだった。キンさんは自分の家を持ってるということで
ここには一晩だけしかとまったことはないが・・・・・」
そういった後、またはっとして愛子を振り向いた。

「そういうことでね、清さんはあなたのおじいさまの男気にほれて。歳月が過ぎてからの
私の無理な申し出にも快く応えてくださったのよ。ソンジェさんは誰にでも信頼されて頼られてたの」
そう言う愛子の目から涙があふれ出ていた。赤松老人は痛ましそうに愛子を見ながら話を続けた
「その後、キンさんが体を壊していることを知って 愛さんがわしを訪ねてきたが
居場所は言わないで欲しいと頼まれてたからそのまま追い返してしまった。
どこにいるかを知っていたのに隠し続けてとうとう誰も尋ねてくれるひともなく息を引き取った時
本当に申しわけないことをしたとおもったんだ。ここに絵を飾ってくれないかと頼まれたとき
やっとキンさんへの罪滅ぼしが出来るとおもって、愛さんの願いを受け入れさせてもらったんだよ。
預かった絵のおかげでここに泊まるお客さんが疲れた心を癒してまた飛び出していく。
キム・ソンジェって立派な名があったんだなぁ、あの人には」
感慨深げにつぶやきながら
「そういう光景を見ながらわしもここまで生きてこられた。ソルジュさんあんたが来てくれて
これまで背負ってきた肩の荷が下りた気がする
愛さんがあんたにここにある絵を返せば私のこの宿の管理も終えることが出来る。
二人ともだいぶ年をとりすぎてこれ以上の管理はもう無理だと話し合ったんだよ。聞けば国で画廊をされてるって?」

 ずっと赤松老人の話を聞いていたソルジュはまだ見ぬ祖父の絵が見たくてたまらなかった。
「はい、私の母が小さな画廊をやっています。
そこにはもう祖父の絵は一枚もなくて、祖母が生活の糧に売ってしまいましたから、
でもそれは祖父の願いだったからです
僕が一枚だけ保管しているのがこの近くの風景画でここに来る前におばあさまに見せていただいてとても感動しました。
帰国したら父親の顔を見ることなく育った母に、お二人から聞いた祖父の話をしてやろうと思います。」
静かな口調で話し終わると今度は愛子にむかって懇願するように口を開いた
「おばあさま、僕は今とても祖父の絵を見たくてたまらないです、僕が泊まる部屋にあるんですよね。
今夜はこれで席をはずさせてもらってもよろしいでしょうか? 明日またお話聞かせてもらえればうれしいです」

「私もみたいんだけど一緒に行っちゃ駄目?」
美園も二人の話を聞きながらソルジュの祖父ソンジェの絵を見てみたいと強く思っていたのだ。
気楽に行ったり来たり出来ると思っていたにもかかわらずソルジュは
「僕はいいけど、おばあさま美園さんお借りしていいですか?」
と、儒教の国の人間らしく常識をわきまえたものの言い方で愛子の了解を得ようとしている。
美園は軽はずみな自分を恥じていたが、見たい気持ちは抑えられず愛子の顔を見ながら返事を待っていた。

「もう遅いから、美園は明日になさい。」
という愛子の言葉に不満げな表情を見て取った赤松老人が助け舟を出してくれて
「ああ、もうこんな時間か、愛さんは疲れたでしょう。わしがこの二人を案内しますよ。
お嬢ちゃんもソルジュさんと同じ気持ちのようだし、若い人達にもう寝なさいは酷だ。
その後ホテルの方にバーがあるから行ってみたらいいさ。いいだろう?愛さん」
 愛子は赤松清二の気配りに感謝してよろしくと頭を下げた。
今日一日の疲れがどっと来ていて、早く横になりたいと思ったのでひとまず反対はしては見たが
二人が絵を見た後、若者らしく楽しんでくるならそれもいいだろうと気を取り直したのだ。

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VOL2

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