季節(とき)のワルツ

ライン

■■追憶(愛の形)■■


  「おばあちゃん、ソルジュさん日本でのお仕事全部終わって明日から今月末まで自由なんだって、
ここに来ても良いか聞いて欲しいって連絡があったよ。」
 その夜、美園は祖母愛子にソルジュからの伝言を伝えた。
愛子はこともなげに
「そう、何時でもいいわよ。
ああ、ミーちゃん。あんた明日からちょっと休暇取れないかしら?
しばらくお休みもらっておばあちゃんを手伝って欲しいんだけど」
と、美園の都合を聞いてきたので
「私は大丈夫よ。土日を入れたら今月いっぱいはお休みもらえると思うし」
と答えると
「じゃあね。明日から旅行に行きましょう。
ホテルはもう予約してあるからソルジュさんにもそう伝えて、空港にはあんたが迎えに行くんでしょう?
時間が決まったら教えてちょうだい。私も一緒に行ってそのまま現場に向かいましょう。」
先が読めているかのように淡々と指示を出す愛子に美園はおどろいていた。
「おばあちゃん、旅行って身体は大丈夫なの?それに旅行ってどこに行くのよ。
ちゃんと説明してくれないと準備もあるし、まだソルジュさんが明日来れるかどうかもわからないのよ。」

 愛子は妙に安らいだ顔で
「車でいけるところだから心配しないで、必要なものはまた取りにかえってくればいいのよ。
あのこが明日これなかったら来るまで待てばいいわ。
まさかここに泊めるわけには行かないでしょう。嫁入り前のあんたがいて
歳は食ってても独身の私のところに若い男性が出たり入ったりしたらす〜ぐ世間の噂になっちゃうよ」
冗談を言って笑っている。
『ハ〜、おばあちゃんたら、ここしばらく忙しそうだと思ってたらそんなこと考えて動いてたんだ』

 美園は、心の中でつぶやきながら、携帯にメールをいれ。それから、会社の上司に電話をしている。
「ああ、はい。わかりました。では明日午前中に出勤して事務整理をしておきます。
休暇届はデスクの上に置いて・・・・ハイわかりました。ありがとうございます。」
 愛子はそんな美園をしばらく見ていたが静かに立ち上がると、手をふって自分の部屋に入って行った。

 朝、鳥のさえずりに目を覚ますと窓から見える山並みがキラキラと光っている。
愛子はこの一週間を、ソルジュの祖父キム・ソンジェを思いながら過ごしていた。
「これであなたのたいせつな預かり物を故郷に返して上げられるわ。
奥様が亡くなったって聞いたことも驚いたけど、あなたやっぱり本物の画家だったのね。
お別れのときに頂いたあなたの故郷の絵、ずっと大切にしてたのよ。
誰にも見せることができなくてごめんなさい。でも
私があなたの絵を持っていることを誰にも知られたくなかったの。わかるでしょう?
あなたは、時代が変わってそれでも暮らしが楽にならなかったら
あの絵を韓国の奥様に送るようにって言ったけど、
私にはどんなに苦しくても手放すことができなかった。私が生きるための宝物だったのよ」

 誰にも言わず誰の目に触れさせることもなかったキム・ソンジェの絵は
韓国に送れば彼の妻によって個展会場に掛けられれば買い手がつくことがわかっていたのか。
いや、ソンジェは残してきた妻に異国で書いた故郷の絵をたくしその絵が売れたら日本に送るようにと
あの手紙に書いたのかもしれない。しかし封は開けられることもなく50年の月日が過ぎてしまったのだ。

「子供たちが大きくなって、主人も亡くなって、やっと静かに自分だけの時間が持てるようになった時、
あなたの絵をどうするかとても迷ったのよ。
だって私はもう自分が暮らすだけの生活はできるようになったんだもの。お金持ちじゃないけれど
あなたに助けてもらわなくても細々と暮らせるようになった。あの絵のお陰で頑張れたのよ」

 愛子は早朝の川原の道をソンジェが住んでいた小屋があった場所に歩いていった。
「あなたが、ソルジュ君をここに呼んでくれたのね。私がいなくなる前に故郷に帰してあげる事にするわ。
あのこが来たら私たちの思い出の場所を見せてあげようと思ってあの旅館を予約したのよ。
今はもう大きなホテルになってしまったんだけど」

 小屋のあった場所は今はもうコンクリートで埋められ当事を思わせるような景色はなくなってしまった。
今でも畑帰りの愛子を呼び止め、自分が作った野菜を手渡すときのはにかんだソンジェの夢をみる。
他にも日本に留まって暮らす在日の男達はいたが酒におぼれ、けんかをするもの。
日本女性と暮らし、子供がいてもいつか別れ遠いところでなくなったものもいた。
そういう中でソンジェは誰に本心を明かすことなく、ただ田舎道を歩いて地金を拾い集め、
それを生活の糧にしながら自給自足の生活をしていたのだ。

「あなたは無口だったけど、誰にでも優しく微笑むことの出来る人で、そんな人だから
あなたがいなくなっても誰も悪く言う人はいなかったのよ。
だから、私もあなたとの思い出を今日まで大事に守ってくることができた。感謝してるわ。」
フ〜ッとさわやかな風が愛子のほほをなぜて通り過ぎると、おもわず、
「カムサハムニダ」
愛子の口から言葉がこぼれ、その唇に優しい微笑を浮かべていた。
その横に遠い昔心を奪われ、貧困と徒労のなかで
つかの間の愛のひと時を過ごしたその人がいるかのように・・・・・

ライン

VOL2

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